『核兵器禁止条約』採択!核兵器なき世界へ一歩前進!

長崎創価圏 末吉地区リーダー

核兵器禁止条約とは、核兵器の使用、開発、実験、製造、取得、保有、貯蔵、移転、及び威嚇使用の禁止が項目ごとに細かく示された国際条約です。
先月2017年7月7日に122か国の賛成により採択されましたが、核兵器保有国をはじめ、核の傘に依存する国や日本などは会議に参加しませんでした。
今回採択された核兵器禁止条約が即座に世界中の核兵器をなくすような特効薬とはなりませんが、 長崎・広島のヒバクシャが長年訴えてきた核兵器廃絶への道が開けたところに大きな意義があります。
注目すべき点は、条約の前文に「ヒバクシャ」への言及がなされたことです。
条約における「前文」とは、その条約がなぜ制定されるのかといった趣旨や意義を述べる箇所にあたります。ここに「ヒバクシャ」の存在が明記されたことで、“核兵器の使用を断じて許さない”との国際社会へのメッセージが伝わってきます。
(同条約前文の原文(抜粋):Mindful of the unacceptable suffering of and harm caused to the victims of the use of nuclear weapons (hibakusha))

現在、核兵器保有国や核兵器に依存する国々は、「核の抑止力」という理論を取り下げることができずにいます。このため、核兵器の削減は、期待通りに進んでおらず、さらに近年では、北朝鮮に見られるように、独自で核兵器の開発を進める国も現れました。このような状況の中、非保有国との間の溝はいっそう深まっています。また、核拡散防止条約(NPT)・包括的核実験禁止条約(CTBT)との兼ね合いを懸念する声もあります。
今回、核兵器廃絶のために、核兵器禁止条約が国連加盟国の3分の2にあたる賛成により、採択されたことは望ましいことです。これを契機に核兵器の不要性、核抑止力の不当性をさらに強く訴え、不戦の世紀、人道の世紀を大きく切り開いて参りたいと思います。

平和への思いを歌に乗せて!

「核兵器禁止条約に思うこと」 (被爆体験者 牟田満子さんに聞く)

長崎池田圏 西野圏女子部長

牟田さんは、小学校4年生(当時9歳)の時、爆心地から2.5キロ離れた西山本町付近で被爆されました。原子爆弾が投下され、窓の外が一瞬にして、一面煌々と光り、気がついた時には自分も、周囲の友人も皆、顔や体に大量の窓ガラスが突き刺さっていたそうです。近所の山々には、「水、水」と言いながら、正気を失い焼けただれた人々が群れをなしながら登っていく光景が、今でも鮮明に目に焼き付いているそうです。当時の街並みから凄まじい状況を伺い、改めて原爆の恐ろしさを感じました。
現在、牟田さんは、歌で核兵器廃絶を訴える被爆者歌う会「ひまわり」に入団され11年目を迎えます。8月9日に開催される平和祈念式典や小中学校、時には海外でも合唱を通して平和への願いを一人ひとりの心に届けています。牟田さんはこの合唱団の入団をきっかけに語り部として活動を始められ、今まで生き延びてこられた感謝と原爆の恐ろしさ、平和の尊さを継承していこうと使命感をもって取り組まれています。
1957年9月8日、創価学会第2代会長戸田城聖先生が『原水爆禁止宣言』を発表され、牟田さんは大きな衝撃を受けたそうです。なぜならば、当時は「原爆を投下したから戦争は早くに終結できた」という核兵器使用を正当化する考えが根強かった中、戸田先生は、仏法の生命尊厳の思想に基づき、核使用を『絶対悪』であると断言されたからです。牟田さんは、宣言の中で核兵器の使用がどれほど恐ろしいことかわかっていながら使用する人間の心、まさに「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」との部分に強く共感されたそうです。
原爆投下から72年、また原水爆禁止宣言発表から60年を経た本年、核兵器廃絶を願う世界の潮流がようやく「核兵器禁止条約」採択という一つの形として結実しました。これを受けて、牟田さんは、『大変喜ばしいことですね。世界が少しずつでも核兵器廃絶に向かっていることは。日本の不参加は残念だったけど、国と国との関係や、安全保障の問題があるのでしょうね。それでも、日本は唯一の被爆国として核兵器廃絶へ向けてリードする役割を果たしてほしいです。私はこれからも合唱を通じて平和の尊さを届けていきます』と穏やかな笑顔で語られていました。
最後に、「平和な社会を築くためには何が必要か」と語り合う中で、牟田さんは「結果がすぐに出なくても平和運動を継続することが大切だと思います」と語られていました。池田SGI会長は、2014年のSGIの日記念提言の中で、次のように述べられています

「『誓願』は誰かが行動することを期待して事態の変化を待ちわびるような願望でも、状況が厳しくなった時に吹き飛んでしまうような約束でもない。どんな困難や試練が押し寄せても、どれだけ歳月や労力がかかっても必ず成し遂げていく―自分の全存在を賭けた“生きる証”の異名ともいうべきものに他なりません(2014年SGIの日記念提言より抜粋)」

自分一人が行動したところで何も変わらないと諦めてしまう無気力の壁を破るには、人間主義の確固たる哲学に裏付けされた使命感と、それぞれが自分にできる平和運動を持続していくことが大切だと学びました。長崎の地に生きる青年の一人として、平和を語っていく使命を深く自覚し、これからも「平和」とは何かを追及しながら、私にできる平和活動を継続していきたいと思います。


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