2021年 ピースウィークを通して

長崎女性平和文化会議 森総県議長

本年は、「長崎原爆の日」から76年を迎えました。長崎創価学会では、原爆投下日の8月9日を中心に、毎年「ピースウィーク」と称して、平和の心を育む取り組みを進めてきました。以下、本年の主な行事をご紹介します。
8月1日、長崎平和会館常設展示がリニューアルし、テープカットが行われました。展示のタイトルは『TSUNAGU―長崎の心を未来へ』。長崎が経験した悲惨な出来事を単なる歴史に終わらせるのではなく、鑑賞者に自分事として平和を考えてもらう内容になっています。その後の「ピースフォーラム2021・第88回長崎平和学講座」では、日赤長崎原爆病院名誉院長の朝長万佐男氏が講演されました。被爆医療に長年従事してこられた朝長氏は、原爆による心身の苦しみは生涯持続の脅威であると、核兵器の非人道性についてわかりやすく語られました。
同8日の「被爆証言を聞く会」では、木村光盛さん、靖子さん親子が登壇され、今も当時の記憶と後遺症に苦しみながらも、親子で核兵器廃絶への決意を語られました。翌9日には、平和公園にて青年部の代表で献花を行い、原爆犠牲者・戦没者のご冥福を祈念し、長崎を最後の被爆地に、との誓いを新たにしました。
また、同日夜には「第30回青年不戦サミット」がオンラインで開催。今回のサミットでは、広島、沖縄青年部の活動報告の後、長崎青年部が制作した企画映像が上映されました。制作映像のテーマを『From One Action~青年(きみ)こそが希望の灯台(ひかり)~』と掲げ、池田先生の平和行動に連なる決意を込めて制作しました。映像内容は、今いる場所で自分にできる行動を起こしているメンバーに光を当て、一人の勇気の一歩が平和への確実な希望になるとのメッセージを発信しました。私は、不戦サミットに参加し、全国の青年部・高等部の代表と不戦を誓い合えたことに、感謝と感動でいっぱいでした。
ピースウィークを通して私が最も心に残ったことは、「被爆証言を聞く会」での木村光盛さんの被爆体験です。「原爆により亡くなった妹を置いて逃げたという自責の念がずっとある」との話を伺い、心が張り裂けそうになりました。思い出したくない体験を語ってくださったことへの感謝と、この思いを一人でも多くの方に語り継いでいこうと決意しました。
この度の不戦サミットで池田先生は、今年から高等部の参加を伝統にすることを提案。またICANのダニエル・ホグスタ氏の「皆さんの時代には、その次の世代も巻き込んでいくことを忘れないでください」と、私たち青年に対する期待を述べられました。被爆地・長崎に生まれた一青年として、今いる場所で自分にできる弛みない平和への一歩から時代変革の波動を起こして参ります。

第88回 長崎平和学講座 「核兵器なき未来への展望―核兵器禁止条約発効を受けて―」を学んで

長崎新世紀県 梅林室員

ピースフォーラム2021・第88回長崎平和学講座「核兵器なき未来への展望―核兵器禁止条約発効を受けて―」(講師:朝長万佐男 日赤長崎原爆病院 名誉院長)に参加しました。講演において、私は、被爆者の人生の来し方と今も続く苦しみ、そして、原爆投下から76年目の意義について学びました。
朝長氏による講演で最も印象に残ったことは、多くの人にとって“核兵器廃絶を自分事と捉えることは難しい”ということです。“核兵器は76年前から使用されていないから大丈夫”、“日本はアメリカの核の傘に入っているから核兵器の問題は日本に関係ない”、などの見解から、核兵器廃絶への関心が被爆地・長崎でも低いことにとても驚きました。
また、核兵器を巡る世界の現状にも胸を衝かれました。核兵器禁止条約は、核の使用・開発・保有全てを完全に禁止する条約です。しかし、完全に禁止しているこの特性が障壁となり、核保有国や核を正当化する国々は条約に不参加。さらには核兵器の使用を実用的にする小型化開発が加速するなど、むしろ使用される危険性はより一層増してきています。
講演を通して、私は、核兵器廃絶を目指すだけでなく、核兵器を使う・作る必要のない世界を構築していこうと決意しました。私自身、被爆地・長崎に生まれ、被爆者の平和への願いを継承したいとの思いから、高校生の頃から様々な平和活動に取り組んできました。これからも、三度目の核兵器を絶対に使わせないとの不戦の誓いに立ち、身近なところから平和創出の行動を起こし、希望の光を発信し続けていきたいと思います。

「被爆証言を聞く会」2021に参加して

長崎創価県 山内室員

「被爆証言を聞く会」で登壇された木村光盛さん、娘の靖子さんの証言は、昨年発刊された被爆証言集『大切な青年(きみ)と-未来につなぐナガサキの声』でも紹介されましたが、今回はお二人の声で直接、証言を聞くことができ、改めて当時の恐ろしさや悲惨さを痛感しました。
原爆が落下直後、身を守るために光盛さんの後を追いかけて亡くなった妹の「お兄ちゃん、待って」との“声なき声”が今なお、耳に残って忘れられないと涙ながらに教えてくださいました。また、死体が散乱した地獄絵図のような長崎の街、長年悩まされたご自身の貧血症状など、私たちでは想像もつかない辛い被爆体験を語ってくださいました。
私は、この光盛さんの思いを継いで私にできることは何かと考えました。私は保育士として、毎年8月9日、子どもたちと一緒に黙祷をしたり、原爆に関する絵本や紙芝居を読み聞かせしたりすることを通して平和の尊さを伝えています。時折、「子どもたちにとって難しい事なのでは…」とためらうこともありますが、靖子さんが中学校教員として平和学習に力を入れている実状を伺い、幼くても子どもたちには被爆の実相を学び、“ナガサキの心”を継承していく使命があると確信しました。これからも、未来を生きる子どもたちに原爆の悲惨さ、平和の大切さについて心を込めて誠実に伝えていきたいと思います。