橋本トヨミさん(当時21才)
長崎県在住橋本トヨミさんは、子どもと共に自宅で被爆しました。
現在は、原爆の語り部として、若い世代に体験を語り続けています。
原爆が投下された時の様子
空襲警報終わったとに、またなんで飛行機が来るのだろうかと思っていたら、子どもが「飛行機!飛行機!」って帰ってきたんです。それで家に入った途端、ピカッ、ドカーン、っていうところまでは覚えているんです。それからどれだけ時間が経ったかよくわかりません。
原爆の後遺症
私は今まで妊娠してもつわりをしたことがなかったんですけど、ムカムカ、ムカムカするんですよね。洗面器みたいな入れ物が落ちていたのでそれに吐いた。黄色かった。臭い、臭い。全部吐いてしまった。二、三日経った後に歯ぐきから出血するし、髪の毛はズルズル、ズルズル抜けるし。逆毛をさばくと泥と血で固まっていた。
めまいがするんです。めまいがしたら白血球が人の三分の二しか無いそうです。だからしょっちゅう具合が悪くなる。子どもにあらわれた後遺症
27年に生まれた子どもが、目がなんかおかしい、「この人の目はクリオームっていうガンよ」って言われました。これはだんだん体が枯れ木のようになって、頭は膨張してもだえ苦しんで死ぬと言われました。原爆を恨みました。原爆さえ落としてなかったら。
お医者さんの話ではガンになる率は人の倍以上だそうです、原爆に遭った人は。そんな言われてからホント、恨み、恨みました。恨み恨みの生活でしたね、その時は。原爆の語り部として
私にはちゃんと使命があるんだ、と。この原爆を三度許してはいけない。その使命を感じている時にアメリカの国連総会に参加させていただきました。
「あなたは私たちを、アメリカを恨みますか?」って言われた時に、私は「はい、最初は恨みました。恨んで恨んで、こんな地獄は無い。私は恨んでましたけど、この苦しみを、アメリカを恨むんじゃなくて、アメリカの人にさえしてもらいたくないこの原爆の恐ろしさを訴えてまいりたいと思います」と話もしました。戦争を知らない世代に語り継ぐ
小学校に行って、被爆体験を話して、子どもさんたちから、折り鶴とか寄せ書き、手紙、そういうものをいただいておりましたけれども、私の願いは、その時に質問した子ども、もういいお父さん、お母さん、だと思います。そしておばあちゃんから聞いた原爆の話を、子どもさん、お孫さんに受け継いで、三度原爆は落としてはいけないっていうことを言い伝えていただきたい。私の願いです、って言って手紙をやりました。
※方言を標準語に書き改めています。