長崎創価学会 ~長崎から生命尊厳の哲学を全世界へ~

被爆証言 幸里愛子さん

幸里愛子さん(当時17才)
長崎県在住
幸里愛子さんは学徒動員で働いていた長崎市内の兵器工場で被爆しました。
爆心地からわずか1.2キロの地点でした。

被爆の時の様子

光線がピカッときたんですよ。何だろうと思ったときには洋服の右腕が、ボォっと音がして燃えて、パッと火が付いて燃えて、みるみる水ぶくれができたんです。ドカーンと海の方から音がしまして、何だろうと思ったときには、とにかく周りは白い煙で見えないんですよ。その途端に上から何か落ちてきて、とにかく下に小さくなろう、小さくなろうってお友達と二人で潜ったんですけど、その時は周りは泣くうめき声とか、「助けてくれ」とかとにかく雰囲気が変わってしまって、びっくりしました。とにかく怖かったですよ。でも亡くなった母を思い出しながら、「お母さん、助けて。お母さん、助けて」って泣きながら逃げたんですけど、気を失ってしまいました。

死体としてムシロをかけられ焼かれる寸前に助かる

目の前、真っ暗なんですよ。どうして暗いんだろうって思ってたら、「生きてるぞ」って男の人が声がかかって、私はそれで気づいたんですけど、傷が痛いのはウジが付いていたんですよ、いっぱいですね。取ろうと思って痛いから引っ張るでしょう。ずっと伸びて取れないんですね。
はっきりは意識していないけれども、痛さと苦しさでもがいてたので「生きてるぞ」って気づいてもらったと思うんですよ。
後で聞いたことですけど、ムシロをかぶせられた人は最初だけだったそうです。後は炎天下でそのまま転ばされていて、だから早く命を失った人もいるし、っていうことでしたね。
本当にあれは地獄っていうんでしょうね。地獄絵さながらでしたけど。
私が「荼毘にふされる寸前だったとよ」ってお友達が五十年経ってから話して、私はびっくりしました。「そうだったと?」ってね、知らなかったんですよ。
命をその時焼かれていたら今がいないんですよね。

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